労農 船津傳次平 群馬県人なら知らない人はいない 上毛かるた の「 ろ 」の読み札。当時は「 ろうのう ふなつでんじべい 」の言葉のリズムで覚えてしまったけど、どういう方なのか何処にお住まいなのか余り興味がなかった。この地に住むことになって、散歩に歩く道中に墓所があると分かったので訪ねることにした。陽射しがあるものの吹き付ける風は冷たい。石碑のあるところまでは2800歩で到着。石碑が立っているけれど墓石らしいものは見当たらない。えーと。見た地図にはあったのに・・・。帰宅後に調べてみたら、地図左に記載された阿弥陀座像の墓所にあるとのこと。出直しですね。

翌日、また同じコースを歩いても面白くないので少し変えてみたら、初めて歩く道でも途中から見たことのある風景に結び付いて、点と点とが繋がっていく感じが面白い。このあたり一帯が群馬県庁や前橋市内が一望できる高台にある。墓所は船津家の名前ばかりが並んでいた。

船津傳次平 明治期の代表的な労農。上野(こうずけ)国の人。和算暦術に長じ、伝統農法の改良を推進。のち駒場農学校教師、西ヶ原農事試験場技師となり、米作養蚕中心の日本的農学の基礎を築き、和洋両技術を融合した混合農事を創始。著書「稲作小言」等。(百科事典マイペディアからの引用。)

帰路は一気に下りる道を選択したら上部国道にぶつかった。榛名山方面に遮るものがない田圃の中を歩く。星空が撮れそうだ。6907歩。

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