父母が生きているうちに聞いておけば良かったと思うことの実に多いこと。そうは言っても、近年は体調が優れないことが多く、耳が遠くなり呂律が回らなくなっていたから、聞き取りが出来たのかも怪しいんだけれど。親父が矍鑠としていられたら今回の件は一喝して終わったのか、或いは緩やかに同意したのか、見当もつかなくなってしまったので、天桂寺若住職に話を聞いてもらおうと思って尋ねたけれど明々後日まで不在ということが分かった。少し整理する時間が取れるかもしれない。

父のアルバムを引っ張り出してじっくり見たらK氏と思われる写真が見つかった。祖父の葬儀の時に撮った写真だと思われる。別の白黒写真の中には若々しい伯父伯母たちの顔が並んでいる。僧侶の脇に位牌を持つ夫婦が喪主だとするとこの方が本家ということかも。当時の家屋の映像も一枚、3cm真四角の写真で残っていた。現存する家屋にはない広い縁側がある。

祖父は実家に戻って静養していたが薬効なく亡くなった旨が職場の50年史に記されていた。昭和14年から13年奉職したことも添えられていた。太平洋戦争には行かなかったことになる。祖父の没後、父が奉職したので、昭和28年の集合写真から祖母に代わって父が写っている。新たな発見の連続だ。祖母は生後半年に満たない自分を背負って校庭をひと回りして帰宅してから倒れ、帰らぬ人になったと聞かされている。本家が亡くなったのも同日だという偶然だ。赤城沢が崩れて道を塞いだので、途中からは、祖母の亡骸を戸板に乗せて運んだと聞いた。凄い話だ。祖母の葬儀の写真は見当たらない。葬儀の日に父は撮影しなかったのだろうか。本家の葬儀の写真も見当たらないから不思議だ。

祖父母は長男夫婦に家を預けて古里をあとにしている。どういう経緯で奉職したのか分からない遠く離れた場所で生活を始めている。古里を離れた理由には嫁姑の確執があり、それはもう凄かったらしいことをTさんは近所の方の噂話として話してくれた。もし本家の奥さんとの間の確執だとすると、今般の件で合祀して大丈夫なのかと心配になったるする。仏様になった後まで現世を引きずるとは思えないんだけど。本家の墓所に合祀されなかったらうちの墓に収めることになるけれど、祖父母と父母との関係は?祖母と母は相性が良かったのか?、今となっては誰に尋ねることができない。K氏が本家の土地を買い戻すために用意した大金を墓所建立に向けて調整したのがTさんだということも分かった。お寺の積極的な動きをTさんが快く受け入れている点も、既に話が出来上がっているような気がして面白くない。

そうか、父が亡くなったことを確認した上で連絡して来たのかもしれない。

 

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