今年は昨年に引き続いての新盆だった。13日は天桂寺(沼田市)本堂に親族10名と一緒に集まって若住職のお説教を聞くことができた。本堂には満席で200名?それ以上?も集まったので若住職は忙しそうだったので直接話せないだろうと思っていたのに、卒塔婆を施主が受け取る際に時間が僅かばかり取れて、「今日も良いお話が聞けて良かったです。」と伝えられたのは自分としてはなによりだった。お説教はいつもよりも少し長めだったので、話を聞いている途中で携帯電話が鳴り出したり、子どもが泣き喚いたり愚図ったり、それを耳にした前の列の方が、泣いている子どもの保護者に向かって訝しげな視線を投げかけていたり、保護者の何人かが子どもを抱きかかえて本堂から退室したり、お焼香を済ませたら静かに着座して待つように言われたばかりなのに、席に戻ってきたら喋り捲るご婦人たちがいたり、色々な音のある風景を目の当たりにした。その一つひとつを余り気にしないように、心静かにお説教を聞こうと決めていたのに、結果的には色々な雑音を拾ってしまう自分に気が付いて、魂の修行がまだまだなんだなぁと実感する。本堂の中は世の中を表しているのかもしれないのだ。DSC_2496

去年の新盆は妹にすっかり任せていて墓掃除もしなかったので、今年は必ずやるぞ!と心に決めて、12日午前中の暑い最中に墓所の周りの除草は済ませておいた。東京家族は川場の釣堀に出かけて楽しんだようだけど。午後からは、盆棚と盆提灯の飾りつけが始まって、去年の記憶も既に曖昧で、我が家風が毎年変わってしまうお粗末付き。東京の孫たちが興味津々で覗きに来るけれど「お昼寝してなさい」と近づけさせないようにしたのは魂の修行が足りないなぁと反省。

30年以上、もしかしたら50年になるのかな?、連絡が全くなかった親族が連絡を入れてきた。父親にどうしても聞きたいことがあったらしいが、それはもう叶わないことを伝えたら、伯母たちはどうしているのか?と聞いてきた。既に他界して久しい(10年?)と伝えた。用件は、父親が知っていて、もしかしたら母親も知っていたかもしれない内容のもの、でも・・・僕らにはどうすることも出来ない世界だから、ひどく困惑する。13日のお清めの席で親戚総代には状況を説明して理解を求めたけれど、彼だって同じ意見、どうすることも出来ないと言う。親族の方が連絡して来た時に「お盆中にお線香上げさせてもらいたい。」と言ったから、16日までには必ず来るだろうと思って実家で待っていたのに、結局、来なかったから、なんで来ないんだろう!と穏やかな気持ちでいられず、心の中に僅かばかり翳りが生じてしまった・・・から、まだまだ魂の修行がたりないんだよなぁとつくづく。

魂の修行はいつまで続くのだろう!ほんとに悩ましい。

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