夕方の連絡で転勤が決まって10月から三男坊が久しぶりに自宅に戻ってくることになった。大学時代を入れると7年半ぶりのことになる。今までは新潟の長岡支店で働いていたので言葉も若干新潟弁になっていた。自分も学生時代を新潟で過ごしたり、かみさんが新潟市出身なので親和感が強くて、ずっと新潟で生活しても良い様な気がしていたけど、実際に帰ってくることになるとそれはそれで嬉しいような気がしている。仕事柄、朝は7時には会社に入るだろうし、夕方は8時頃に帰還するだろう。年末年始の掻き入れ時などは朝の3時頃からだろうから、一緒に暮らすことになっても忙しいというか、すれ違いの多い生活にもなるだろうけど、なんだかやっぱり嬉しいような気がする。「転勤が決まりました。」と夕方連絡してくるところも何だか嬉しくなってしまうし、長男二男が持ってくることのない新潟の地酒を手土産にしたりするところが可愛いかったりして。野球部出身だからだろうか。

二階の部屋の模様替えをしなくてはいけなくなった。二男と三男の部屋をぶち抜いて山道具の棚を作って使っていた。いつでも持ち出せるように棚の上に整理しておくのも面白いと思っていた。お気に入りのオーディオを並べた部屋にしていたけど、転勤が決まった以上は長男の部屋に移動しなければならなくなったのかもしれない。27日に荷物を運んでくるらしいので、本人の意向も考えながら、それに伴って発生するだろう作業は最小限にしたいものだとも考えてみたり。

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今日、「阿賀に生きる」と言う映画を見た。新潟の阿賀野川の周辺に住む人々の生活を撮り続けた作品だった。20年前に完成したもので撮影に要した年月が3年にのぼるというから、撮り始めたころは自分も新潟で暮らしていた頃と重なるのかもしれない。映像の随所に現れる新潟のことばを聞いていてなんだかニンマリしてしまった。そういう風に話す家族や親戚縁者の顔が次々と浮かんでは消えた。暫くの間、新潟の家に行っていないことを反省したり。

昭和電工の新潟水俣病に特化した映像ばかりが流れるのかと思いきや、時々は水俣病の影響を受けたと思われる映像が流れたけれど、そのことをどうこうすることもなく淡々と進み、村人の何人かに焦点を当てて撮影していたので、ホッとしたのも正直なところ。田んぼを耕すとか船大工の復活する話とか、鉤で鮭を引っ掛ける漁を再現してみたりとか、随所に面白さが展開されていた。でも、一番良かったのは、新潟の言葉だったと思う。うちのかみさんも年をとったら、あんな風な口の利き方をするのかもしれないと考えてみて、新鮮(?)だった。

 

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